一日三食三日で九食

茂木和菓子のブログ

18万円の使い道

「日記を始めた頃は楽しくて毎日書くけど日にちが経つと飽きてきてやめちゃう。」

 

という小学生あるあるを、このブログで23歳にもなって、やってしまった。

言い訳だけど「1ヶ月空けなかったらいいや。」という考え方だ。

 

今の僕はバイトの給料が、たまたま18万円で完全に調子に乗っている。

一度、18万稼いだことがあるのだが、その時は母に借金をしていたのでカウントしてない。

 

フリーターで18万稼いだら勝ちだ。

ひたすら使い道を考えている。

やったことのないパチンコに使おうか、高いTシャツを買おうか。

僕は金がある時期と無い時期の差が激しくて、「金運ってあるんだろうな。」って信じている。

カッコよく言えば安定は向かないのかもしれない。

 

金の話から飛ぶが僕は協調性が無い。

最近、強く自覚した。

他の人と話し合って協力して何かを進めるのが苦手なのだ。

こういうことは能力のある人しか言っちゃいけないのかもしれない。

 

「意見ある?」とか「どう思ってんの?」って聞かれると答えられない。

細かい例えで言ったら学生時代のグループワークとか辛かった。

 

1人で進めて1人で作り上げるのが合っている、と最近思う。

 

「良いものを作る」ためには他人の意見を聞くのは必須かもしれない。

他人の意見を聞かなくても、良いものを作り上げて評価されるのは天才だ。あるいは他人の意見を聞いて調整しつつ、作り上げることができる人も能力がある。

 

僕は、そうなりたかったけど、なれなかった。

 

他人と作業ができないのが、就職できない1番の理由かもしれない。

他人が怖いのは直ってきたと思ったのに。

 

そう考えた時、好きなことだけ書けるブログはいい。

フリー

定期的に居場所を探す癖がある。

 

昔から仲間を作るのが苦手な僕は1人でいることが多い。

長年、ずっと属している集団や居場所みたいなものが無い。

 

学生時代のクラスでも部活でも居心地のいい場所みたいなものが無かった。

家族でさえ、当時から違和感を覚えていて関係は悪くないんだけど、団らんとか食卓が好きではなかったのかもしれない。

 

だから定期的に新しい場所みたいなものを探す。大学の時、お笑いを始めたのもそれが理由の1つだったのかもしれない。

 

現実だけでなく、ネット上でもTwitterやブログを始めたのも何となく新しい居場所を作りたかったのかもしれない。

 

どこに行っても浮いている気がする。

大学の友人とたまに集まっても僕以外は就職している。

7年置いてもらっているバイト先でも浮いている。

 

「23歳以降は人は変わるのが難しくなる」と聞いたことがある。

 

もしかしたら僕は一生、自分の居場所を見つけられないのかもしれない。

 

Twitter→@daibouken_mogi

茂木の人生という名の漫画

3月~4月は別れと出会いの月っていうけど、フリーターの僕は特にどちらも無い。

 

ふと考えてみると大学卒業から1年経った。

僕は暗いなりに、わりと色々あった数年間だったな、と思う。

 

大学在学中は多分ずっと関わるかもなっていう友だちができたから良かった。

あとは19の時にアマチュアでお笑いコンビを組み大学卒業まで活動していた。(出来ればそのコンビでずっと活動したかった。)

 

それで今23歳。完全に何もしていない。

 

思えば、僕は昔からずっと自分を客観的に見ていて現実を生きる自分の他に脳内で冷静にそれを眺めている僕がいる。

 

眺めている方の僕は夢を見ている感覚というか漫画を読んでいる感覚だ。

現実の僕が失敗すると「あー、こいつまたやってんな」って思って見ている。

現実の僕がキレると「やめとけって。見苦しいぞ」って思って見ている。

 

眺めている方の僕としては、ここ4年くらいの人生は見ていて面白かった。

最近は面白くない。

 

面白くしたいとは思ってる。

やはり僕みたいに暇だとネガティブなことを考え続けてしまう人間は夢中になれることをやり続けた方がいいのではないかと思う。

 

季節感がない

大学を卒業して1年経った。

 

バイト先で後輩の進学や就職を喜んでいたら、「あ、俺何もしてないな。」って再確認した。

 

今月末からシフトが激動を迎えるので、暇な時間が減って余計なことを考えなくてよくなるといいな、と思う。

 

面白いことを全く考えずに半年以上過ごしたせいで感覚が鈍り、最近は感覚を戻そうと意識している。もともと面白い訳では無かったけど。

 

「自分が面白い」って自覚することは自信にもなるし、傲慢にもなりうるからバランスが難しい。永ちゃんは「自分が天才だって思わないとやってられないよね。」っておっしゃっていたけど僕はそこまでにはなれない。

 

この半年間はMONSTER、コードギアスZガンダムにハマり、少しだけ読書を始め、家に居すぎたせいで外に出ることに興味が出て、人と会う大切さを実感した半年間だった。この経験が生きるかどうかは、これからの僕の頑張り次第だと思う。

他人に何て言われたって自分なりにやればいい。

 

今のところ、ほぼ決まっている予定といえば3月中にガンダムSTAR WARSの倉庫になっている部屋を片付けることと、梅雨にコンタクトにするということだけだ。予定って呼べない気もする。

 

 

 

仲間はずれの叫び

二月も終わる。

 

早い。早すぎる。

今月は新しく知り合う人が多くて僕にしてはよかったんじゃないかと思う。

 

半ばは久しぶりにメンタルが深海に行ってしまったけど何とか戻ってきて安心した。

まあ、今年中に何回深海に行くか読めないけど。

 

今回は完全に僕の考えなので不快に思われたらごめんなさい。(このブログは知り合いしか読んでないと思うので心配はしてない。)

 

僕の数少ない友だちはほとんど皆、就職している。

話を聞いていると本当に大変そうで聞くたびに「僕なら一日ももたないな。」って感じている。

皆、本気ではないが「辞めたい」って口にすることがある。

そんな時、僕は「別に辞めることって悪いことじゃないんじゃないか?」って思ったりする。

 

確かに、「めんどくさい」で辞めてしまうのは良くないと思うし、何よりせっかく社会に適応できてるのにもったいないと思う。

 

でも周りの友人は「職場が合わない」とか「環境が合わない」って悩み続けていて「辞めたい」「転職したい」って言っているのをよく聞く。

社会に出ていないやつが何言ってんだ、って言われるだろうが、僕は何回だって辞めたり転職したっていいと思う。(無責任には言えないけど)

 

なぜなら合わない環境で嫌々仕事するより転職を繰り返して自分に合った職場を見つける方がいいと思うからだ。

「三年は我慢」ってよく聞くけど、三年は長すぎる。せめて一年でいいと思う。(本当に向いてる場所があったとしたら時間がもったいない)

 

多少、我慢や忍耐が必要だとは思うけど合わない場所って本当に合わない。(本当に合わない人がいるように)

本当に合わない場所の見極めっていうのは一年もあれば十分だと思う。

 

この国は理不尽、我慢が美徳とされている。

 

頑張って耐えてプラスになればいいけど、全部の職場がそうじゃないと思う。

長くいればいいって問題じゃない。その判断のための一年でもあると思ってる。

 

本当に合わない場所があるように、本当に合う場所だって、ほとんどの人はあるはずだ。

だから、職場を転々とすることは悪いことじゃないと思う。

せっかく、選択肢が溢れている時代。

 

この国の美徳に従って、理不尽が当たり前だと思い続け精神的に、身体的に病んでしまうことの方が良くない。そうなるんだったら他人に何て言われようが自分で生き方を決めた方がいいと思う。

自分を評価する他人のために生きてるんじゃない。

 

僕が言っても何の説得力もないことを書いてしまった。 正しいとは思っていない。

 

確定申告してきました。

時間が経つ早さに引いている。

 

誕生日だの寒波だの義理チョコで議論が起こっただの言ってたら、もう花粉を食らい始めている。

 

今日は確定申告をして、髪を切りに行って家系ラーメンを食べた。

自宅に六角家のカップ麺があるのに帰るまで我慢できずにラーメン屋で食べてしまった。

 

最近、外に出ることが多くなった。単に家にいるのが飽きたって理由だ。(ハマってる漫画やゲームが落ち着いているのもある。)

 

半年間バイトしかしない生活を送っている。いざ習慣を変えるタイミングが訪れたら適応できるか不安だ。

 

昔から適応能力が低い。今やってるチェーン店のバイトも慣れるのに半年くらいかかった。バスケに関して言えば9年もやったのに、ほぼ勝ったことがない。

サッカーは5年くらいやったのにリフティングを5回もできない。親に月謝を返したい思いだ。

 

このブログもいつまで続くだろう。

続けてたら面白い文章が書けるようになるのかな。

ブログは完全に書きたいことを書いてるだけで楽なのでやっていけそうだ。

 

アクセス数増えてほしいと強くは願ってないが、少しずつ見てくれる人が増えてくれたら嬉しい。

 

前から思ってることなんだけど僕は大勢の人に浅く評価されるより、少数の人に高く評価されたい。

 

いつになるか分からないけど。

 

周波数。

僕は声が通りにくい。

 

そのわりに、「よく接客バイトが続いているな」と自分でも感心している。あと、振り返ってみれば「よく人前で話していたな」って感心する。(気分が沈んでいるので、せめて自分で自分を褒める。じゃなきゃやっていけない。)

 

飲食店とかで呼び鈴がないと地獄だ。知らない人しかいない場所で大きな声で通りにくい声で「すいませーん。」と言わなくてはいけない。

 

一回言って聞こえないと、もう心が折れる

だから、そういう店に友人と二人で入った時などは、その人が注文を決めて僕に「決まった?」と言ってくれるのを待つ。

 

居酒屋で二杯目を頼みたい時は、一緒に飲んでいる人が二杯目を頼むタイミングを待つ。

 

だから、コミュニケーションの場が減ったという面はあるかもしれないが、近年の回転寿司のタッチパネルで注文するシステムは、ありがたくて仕方がない。

寿司って次から次へと食べるものだから、その度に握ってくれる人を呼ばなくてはならないのはキツい。

 

だから最近は声が通りにくいこと、マスクをしていることを利用して街を歩いてる時などに歌っている。

 

通りにくい声なうえに、人見知りだから余計に聞こえないのだと思う。

仮にボイストレーニングをして通る声になったとしても、この性格は直りそうにないので多分僕はずっと「すいませーん。」を言えない。