咲くことを許されない花
昔からぼんやりと「僕って幸せになれないな」と思いながら生きている。
それを誰かに話すと「そういうこと言ってるからダメなんだよ」「ネガティブな性格を変えろ」とか言われる。
うるせえ。違う。僕は自分のことを客観的に見ることは長けている。
19までの僕はどこの世界にもなじめずに仲間に入れずに何となくどんよりと自分の殻に閉じこもっていた。親がもっと甘かったら引きこもり→ニートというルートもあったと思う。
18の頃に養成所か大学の2択で進学で迷った結果、「親が学費を出してくれる」という贅沢な理由で「お笑い芸人になりたいけど、お笑いで飯は食えないだろうしなぁ」と大学に進学した。
大学でもなじめずに、カフェインと暴食で乗り切る日々だった。
そこで転機が訪れる。幼なじみがコンビを組もうと誘ってきた。そして「お笑い芸人じゃなくてもお金を払えばライブに出れる」と知った。
誰にも見せないノートにコソコソとネタを書いていた僕は「お客さんの前でネタができる」「ネクタイを締めて漫才ができる」「役に入ってコントができる」と嬉しくなった。
芸人さんと知り合ったりもした。「お笑いが好きだから、という理由だけでライブに出てます」と言っても受け入れてくれる、アドバイスをくれる。本当に仲間に入れてもらったのは初めてだったかもしれない。
その時の純粋な好きという気持ちだけでネタや大喜利ができていたら、今も僕は歩みを止めてなかったと思う。
19~22はそんな感じで、大学はキツかったけどライブは楽しかった。好きなことをして生きていける。飯は食えないかもだけど、お笑いができる。
そう思ってたら幼なじみの相方が「就職する」と言って、あっさり解散した。楽しかったのに。
そこから心が折れ、ライブに出ず派遣バイトだけで収入を得る生活を8ヶ月くらいやって「プランはないけど、お笑いやるならこうするしかない」と思い僕は2018年にピン芸人になる。
1年くらいはスベったが少しずつ爆笑を取れるようになり自分が認められてきてるんじゃないか、と実感した。主催ライブもやった。
そして去年も何となく活動が上手くいっていて、周りの芸人さんのおかげで収入にはなってないけど楽しかった。今思えば、この時幸せになれるんじゃないかと期待していた。
でもあっさり崩れた。人のせいにしない、というのが僕の主義だが一方的に因縁をつけられ主催ライブを潰され私生活でもキツいこと続きで2022年を迎える。不運続きで死ぬんじゃないかと思った。
地元でもバイト先でも助けてくれる人はいなかったので、自分で電話して病院に行って薬をもらい精神を保った。
そこから何もできずに今に至る。
振り返ってみても何回かチャンスあったのに「こんな感じかぁ…」って落ち込んでしまう。
幸せを諦めかけている。
でも仕方ない。生きたいうちは生きればいい。
惰性で生きるのも権利だ。
twitter→@daibouken_mogi